日本は、1882年の壬午軍乱、1884年の甲申事変を契機に朝鮮を巡り、清と対立し、甲午農民戦争を契機に、明治27年(1894年)に日清戦争が勃発した。当時の国力では財力、軍艦、装備、兵数すべてにおいて清の方が優位であったが日本は勝利し、下関条約によって以下の内容を清に認めさせた。
朝鮮の独立の承認
領土として遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲
賠償金2億両(テール:3億1千万円)を獲得
重慶・長沙・蘇州・杭州の4港開港
下関条約の結果、清の朝鮮に対する宗主権は否定され、ここに東アジアの国際秩序であった冊封体制は終焉を迎えた(李氏朝鮮は1897年大韓帝国として独立した)。しかし、遼東半島は露仏独の三国干渉により返還させられた(代償として3000万両を獲得)結果、国民に屈辱感を与え、報復心が煽られた(臥薪嘗胆)。
結果としてこの戦争により日本も諸列強の仲間入りをし、欧米列強に認められることとなった。他方、「眠れる獅子」と言われた清が敗戦したことから、諸列強の中国大陸の植民地化の動きが加速されることとなった。加えて、日清戦争の賠償金を元手に、1897年の金本位制の源泉となったり、1901年八幡製鉄所が造営されたり、経済的にも影響を与えた。
2007年03月13日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/35855092
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/35855092
この記事へのトラックバック

